alohaloha

ぴーちくぱーちく

日常*ウクレレ*ライブ*音楽*映画*本*旅など

母のこと


1週間前ぐらいからでしょうか。
母の状態が一気に悪くなってしまって。

めまいが酷くてずっと目をつむり寝ていることが多くなっていました。

言葉はほぼ話さずうんうんと相槌を打つぐらいでした。

ご飯も朝に少ししか食べられなくなっていました。
お昼と夜は飲まず食べずで。

自力で立つことできていたけれどできなくなってしまいました。

夜中に3回のトイレ。
トイレまでもたないことも多くておしめで。

そんな中MRIの検査があり結果が出たので付き添って行ってきました。

いきなりあちこちに腫瘍が散らばって出来ていて凄いことになっていて驚きました。

腫瘍が左脳に出来た場合右脳に行くことはないと説明を受けていて
右脳にもできていて驚いてしまいました。

髄腔内播種という病気になってしまったようです。
http://www.pieronline.jp/content/article/0385-0684/35060/900

本来なら出来た腫瘍が大きくなってという感じなのですが
脳脊髄液にガン細胞が入り脳内に散らばってしまって
脳全体に広がってしまったようです。

↑の母の症状に納得しました。

こうなるともうお薬で抑えることは無理です。
アバスチンを止めることになりました。

アバスチンお世話になりました、本当にありがとう。

腫瘍が脳幹にもできていて体力がわすがしか残っていないので余命2ヶ月。

先生2ヶ月と話されているけれど2ヶ月もたないと思います。

いつ急変してもおかしくないそうです。

脳幹は呼吸の指令を出してる所です。
腫瘍が大きくなると自然に呼吸が止まるか
食べ物が食べにくい状態なのでそこから肺炎になるかだそうです。

母、発病してから丸3年で4年目です。
余命半年から始まりあと3ヶ月という言葉を何度聞いたことでしょう。

覚悟するけど大丈夫、覚悟するけど大丈夫の繰り返しで。

当たらないことに良かったと思う気持ちと
正直、少し疲れてきたという気持ちがありました。

でももう治療を止めるのでそんなに外れることないそうです

発病してからこんなに長く生きられることは珍しいそうです。
20人に1人ぐらいだと話されてました。

脳腫瘍じたい珍しく、最初から3.4個出来てるのも珍しく、
テモダールではなくアバスチンが効くのも珍しく余命が長いのも珍しくで最後まで珍しくが続いた母。

これからは母の症状が少しでも楽になるようにして行くことだけです。

今まで家で父がみていましたがこれからもっと大変になるということで
緩和ケア病院へ入院することになりました。

今は今までの病院で入院しています。
イメージ 1

先生すごく優しくて。凄く考えてくださって配慮もしていただいて。
病気もだけれどそれだけでなく心のケアや他のこともで。
本当にいい先生に診てもらえたと思います。

家が大好きだった母。
家はいいね、と父によく話していたそうです。
でも父がすることが増えたからか状態が悪くなったからか死期を悟ったのか
少し前に父にもう家でなくてもいいと話したそうです。
仕方のないことだけど悲しくなってしまいました。

家に帰れることはもうないかもしれません。

父ほんとすごいなと思います。よくがんばったと思います。
でもきっと父の中ではがんばったという感覚はないのかもしれません。
いなくなったら嫌やなと母と一緒にいれることが本当に嬉しそうでした。

母を見といてくれるかと1度しか頼まれませんでした。
免許の更新の時でした。

あとは私や妹、ヘルパーさんに頼むことなく全部1人でお世話しながら母と過ごしていました。

遊んで来ていいよ、息抜きにどこか行ってきたらと話しても行かなかったです。

病院からの帰り道、なにか効く薬ないかな、
そしたらお母さん助かるのになと話していました。胸が痛かったです。
今でも母のこと大好きなんだなと思いました。

父も人間なのでいい所ばかりじゃなくて。
父と母、長い年月の間いろいろあったけれど
母、幸せだったんじゃないかなと思います。

完治できるお薬できたらいいなとほんと思います。

後は苦しまずおだやかに最期むかえられたらと思います。

覚悟何回もしているけれど、いなくなる想像もずっとしているけれど
やっぱり悲しくて寂し過ぎですね。

何かあると母に相談して元気もらっていたので大きな心の支えがなくなった感じで。

今、いろんなことが次々やってきて心壊れそうなこともで。
こういうことって重なるものなのかなって。
母に相談したいけどできなくて母ならなんて答えたかなと考えたりしています。

こうやってブログ作れてるので少しは元気が出てきたのかもしれないです。

お昼から母のお見舞いに行ってきます。